あぶらとり紙・花名刺の「京都はんなり」。あぶらとり紙の由来や産地についてご紹介します。


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あぶらとり紙の由来

あぶらとり紙の由来

「まるで風呂上がりのようにさっぱり…」
舞妓や京女の心をとらえた極薄の和紙

「あぶらとり紙は京都の名品」。そんな風に言われるようになったのはいつ頃からでしょう。最近では女性のみならず、若い男性の間にも浸透しつつあります。こちらでは、そんなあぶらとり紙の由来についてご紹介します。


あぶらとり紙の由来

目を見張るほどの吸脂性
金箔を作る際の和紙に着目

お肌を優しく押さえるだけで脂や汚れを吸収し、お化粧くずれを防ぐあぶらとり紙。
その昔、金箔を作る際に使われる特殊な和紙「金箔打紙」がとても吸脂性に優れていたことから、舞台役者や舞妓さんの化粧直しの道具として京の街へ広まったといわれています。


当時、京都には工芸品や調度品の製作時、寺社仏閣の建立時に使用するため、大量の金箔が入ってきました。その際、「金箔打紙で顔を拭けば、風呂に入ったようにさっぱりする」という噂が街中を駆け抜けたことから、いつしかこの和紙を「ふるや(風呂屋)」と呼ぶようになったとか。
舞台役者の間で「どおらんのテカリを抑えるのに最適」と評判になったのを機に、舞妓や芸妓、京女の日用品として瞬く間に京の街へ広がっていきました。

あぶらとり紙の産地

京都生まれと思いきや
発祥の地は北陸・金沢でした

京の街でその用途がもてはやされたことから「京都の名品」というイメージが根付いたあぶらとり紙ですが、正しくは金箔の産地・金沢から広まったもの。全国の金箔生産の約98%を占める金沢で使われる、金箔づくりに欠かせない「金箔打紙」が、後にあぶらとり紙として重宝されるようになりました。

ちなみに金箔が金沢で最初に作られたのは文禄2年(1593)、加賀藩・前田利家の意向によるものだったとか。その後、江戸幕府が元禄9年(1696)、江戸に箔座を設け、全国の箔の生産・販売を統制。「金銀箔の生産は江戸と京都の箔屋に限る」と定めました。
一度は金箔の生産を行われなくなった金箔でしたが、長きにわたり培ってきた職人の技と気候や水質の良さから、明治以降、金沢は金銀箔の生産における独占的な地位を確立したのです。

あぶらとり紙の現在

元来の技と品質はそのまま
より多くの方にお届けするために

「金箔打紙」の生産量および、紙漉(す)きに携わる職人の減少に伴い、「金箔打紙」は貴重なものになりつつあります。
現在多く売られているあぶらとり紙は、新たな技法により生み出されたものが大半。元来の箔打ちや紙仕込みの技術を生かし、品質を保持したうえで量産できるあぶらとり紙が主流となっています。

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